ウィズスマイルのご紹介

ウィズスマイルが目指していること
ウィズスマイルの支援実績
支援・提供内容
代表 降旗 利弥(ふるはた としや)のプロフィール

ウィズスマイルが目指していること

経営者の方が、

  • お客様から熱烈に支持され、簡単ラクに事業の成果・結果を手に入れられる事業を構築すること
  • 仕事にやる気、意欲のある社員を売上と一度に、簡単ラクに増やすこと
  • 面白い、楽しいと感じながら、期待と希望と自信を持って経営・事業に取り組むこと。

を実現できるように支援することが、ウィズスマイルの使命です。

このことが実現できるように、
ウィズスマイル 降旗の今までの

  • 経営の実務、事業運営の実際の現場での多様な経験と成果
  • 経営者を支援、コンサルティングをしてきた経験と成果

経営者とコンサルタントの両面をもとにした
知識と学び、理論と手法を提供します。

知識と学び、理論と手法を体系化して内容を、
売上・やる気が一度に伸びる「事業構築メソッド」として、
セミナー、講座、レポートや教材などのコンテンツを通じて提供しています。

ウィズスマイルの支援実績

  • 3年間閉鎖されていた施設で、宿泊業素人ばかりで巨大温泉地にホテルで参入。300軒以上の競合を押しのけ、「楽天トラベル顧客満足度地域No.1」を獲得し大繁盛に導く。
  • 初めてその中古車店に来店したお客様が、購入する車が決まっていないのに、その店での購入が決まる中古車販売店へ変える。
  • ご主人と一緒に中古車店に来店した奥様が、「ここまで私たち(奥様、子供、両親)のことを考えてくれるお店は他になかった。あなた、ここで買いましょう」と購入を勧めてくれ、ご主人が即購入に至る店に変える。
  • お客様からの値引き要望なく、車の購入が決まる中古車販売店に変える。6ヶ月後に売上141.3%
  • 予約が10%近く減少していたブライダルサロン。活動を始めると、6ヶ月経たずに売上123.8%。

などなど

支援・提供内容

  • ブログ、メールマガジン
  • ビジネス書、DVD、動画などの教材提供
  • セミナー開催
  • 無料相談(ネット会議式、面談式)
  • レポートの提供
  • 半日・終日の短期間の集中講座開催
  • 複数回に渡る連続講座の開催
  • 個別課題に取り組むための(有償)相談
  • 個別課題を設定し取り組むプロジェクト型改善・改革
  • コミュニティ型会員組織
    • 特別講座の開催
    • 特別教材の提供
    • 定期ミーティングの開催

代表 降旗 利弥(ふるはた としや)のプロフィール

3月の薄暗い寒い会議室の椅子に座って、
これからどうしたら良いのか分からずに、
私は頭を抱えていました。

外はみぞれ混じりの雪が舞い、
春はまだ、はるか遠く感じられました。

こんにちは。

売上アップと事業成長の実現を支援する
ウィズスマイル 降旗 利弥(ふるはた としや)です。

この【事業成果の実現講座】のウェブサイトでは、

短期間に売上を増加し、
その後も事業の成長が継続し、
競合にマネされない、たとえマネされても競合が撤退するしかない、
あなたの事業、ビジネスを創り出す考え方、手法、理論をお伝えします。

あなたが実際に実践できる内容をお伝えします。
小難しい理論、理屈ではなく、
実際に事業での成果を手にするための、
簡単で容易に実践できる内容です。

あなたが実践をすると、
仕事に意欲を持つ社員を育て、
有能な後継者を育て継続する事業を継承する事も実現できます。

 

ありえない成果が、、、

冒頭の3月のある日の光景は、
私自身に起こったことです。

売上がアップしないだけでなく、
社員がちっとも動かずに怒り悩んでいた、
あの3月のある日から私は脱することができました。

脱するためにおこなった方法を元に、
売上が増加せずに悩んでいる経営者の方に、
同じ様に実行して頂いたところ、
ありえない結果が多数生まれました。

いくつか実例を示すと、

 宴会施設を運営。予約が入らず売上が減少。商品・サービスの内容を組み替えただけで、1ヶ月後には売上が57.3%増に。

 競合が近くに多数ある幹線道路沿いの中古車販売。初来店のお客様が、展示車両も見ていない、購入車が決まっていないのに、その店で車を購入することを即決。

 お客様からの値引きがほぼ当たり前の中古車業で、値引きをお客様から全く求められずに購入が決まる販売店。6カ月後に売上41.3%増。

 ブライダル業界では、挙式・披露宴設備を下見をして仮予約、一週間以内の本予約が当たり前にも関わらず、初来店のカップルが、下見の前に、しかもその後に他の下見予約があるにも関わらず「挙式・披露宴をここでしたい」とカップルからお願いされるブライダルサロン。6カ月経たずに売上26.3%増。

 設備の状況が競合より劣るうえに、成果を出していたやり方を競合にマネされたにも関わらず、後から参入した競合は撤退せざるおえなくなり、マネをされた側は、売上・収益を伸ばし続けた。

など、業界の人がこの結果を聴くと、
「ありえない。信じられない」というような成果を、
多くの経営者の方が叩き出してくれました。

 

泣き虫でした(笑

では、どのようにして、

売上増加し、その後も成長が継続するように、
ビジネス、事業を創り出すことに私はたどり着いたのか?
その点をお話ししますね。

 

私は、1959年1月に、
3人兄弟の三男坊として東京で生まれました。

泣き虫、弱虫で、
女の子の様に可愛い(笑)子供だったそうですよ。

曾祖父、祖父は激動の大正・昭和期、
国政に関与した政治家でした。

私が物心ついたころは、祖父は自治体の首長。
その後、地方の民間放送会社を設立。
父もそれに携わることで、
郷里の松本に、私達家族は引っ越しました。

曾祖父、祖父が政治家として、
日々、命を削る様な仕事をしてきたこと、
それを聴く機会は多かったです。

今、私がこのような仕事をしているのは、
当時の影響を強く受けていると、感じることは少なくないです。

 

フラフラしていました

さて、、、

中学生までは、
何をどうして良いかわからずに、
目的も定かではなく、
私はふらふらしていた様に思います。

中学ではブラスバンド部でトロンボーンを吹いていましたが、
今ひとつ、気持ちは煮えきらずにいました。

3年のときには、生徒会で校風部長なんて、
柄にも無い物になっていましたが、
これも熱心にはなれませんでした。

転機が訪れたのは、進学する高校を選んだときからでした。

進学した高校が、
旧制中学時代からサッカーを校技にしている、
サッカーの古豪、強豪校。

いろいろ経緯はありましたが、
高校受験時に一念発起。
サッカーに高校生活をかけようと決心しました。

実際に進学すると、
中学の全国大会に出たとか、
他のスポーツでかなりの成績を残した、
そんな新入生が多く、
先輩や部長が勧誘をするような状況。

当然、中学時代にサッカーをやっていない私に、
勧誘の声がかかるはずもなく、
自ら入部を言いに行くような状況でした。

蓋を開けてみると、
中学時代にサッカーの実績がすごい新入生、
あるいは、他のスポーツで実績を出した新入生、
そんなが新入部員がゴロゴロと30人近くいる部でした。

ブラスバンドと生徒会で、
中学時代フラフラしていた私にとって、
全くの別世界でした。

なにしろ体力はない、技術はない、根性もない、
のナイナイづくし。

毎日、放課後から19時ぐらいまで練習。
薄暗くなれば、水銀灯をつけての練習。
土日も当然練習。
土日の練習試合が不甲斐なければ、その後も終日練習。
毎日の練習のキツかったこと、、、

そして、夏のきついきつい合宿が終わる頃には、
新入部員は15人ほどに減っていました。

 

どの様な観点で認められるのだろうか?

そんな中で、
なんとかレギュラーになりたい!
と私は思っていました。

しかし、、、

同期と同じことをやっていては、
経験でも技術でも追いつけません。
さて、どうしたらよいのか???

そのうち、あることに気づきました。

ディフェンスの基本を考えて取組むうちに、
他の部員より勝っている部分が私にはある、ということでした。

技術やテクニックと言うより、
戦術的にディフェンスを行い、
一対一の攻防に勝つことができる点でした。

だから、練習でも私のディフェンスは、
同期だけでなく、先輩、OBからも、
嫌がられることが少なくありませんでした。

よくよく考えると、
気づいた点は、基本的な事柄でした。
個々のテクニック以前の事柄でした。

そうしているうちに、
2年の秋の新人戦からサイドバックのレギュラーに。

新人戦では長野県で優勝。
当校にとっては、久しぶりの県制覇でした。

3年時は、 全国高校サッカー選手権大会の県予選で8試合無失点で優勝。
長野県代表校のメンバーとなりました。

出場した初の首都圏開催となった
全国高校サッカー選手権大会では、
7年ぶりの初戦突破。

準々決勝で帝京高校
(なでしこの佐々木則夫監督が、当時3年生で主将)に破れましたが、
古豪の当校にとっては14年ぶりのベスト8でした。
(それ以降、長野県代表は初戦敗退。母校も何度か出場していますが、
初戦敗退が続きます。
勝ち進んでも2回戦、3回戦敗退でしたが、
平成29年度大会で、長野県代表の上田西高校がベスト4となり、
40年経って記録を塗り替えることになりました。)

基本に立ち返り、
人と異なる重要な部分を見つけ出す
と、成果を手にする場所と機会を
見つけるだせることにこのとき気づきました。

これが高校3年間をサッカーに捧げて
気づいたことでした。

 

学び方を手に入れた

高校3年の後半。
化学の授業で習った有機化学に、
とても興味がわき惹かれました。

一年浪人後、開校5年目の筑波大学へ。

周囲は松林ばかり。
研究学園都市も、まだ松林の中に施設が点在するだけ。
当時、日本で唯一、村に存在する大学でしたから。

1、2年の頃は、まだフラフラしていました。
寮生活(ほぼ全員が学生寮住まい)ということもあり、
友人とだべり、バイトして、、、
なんてことでした。

3年になり、
化学専攻に進んでから、
真剣に有機化学を勉強したい、
と思う様になりました。

高校時代に有機化学をおもしろそうだ、
と感じた感覚が戻ってきました。

4年になると、
化学系のなかでもトップの研究室で、
卒業研究をすることになりました。

卒業研究を見てくれた先輩は、
有機化学のある領域については、
とても優秀で実験も上手でした。

その先輩から、
未知の世界の学習の仕方、
実験で結果をだす方法を
教えてもらいました。

そのときの経験、知識、方法は今でも役に立っています。
今でも私の学びの基本の一部になっています。

基礎を学ぶほどに、
未知の世界、おもしろい成果が
広がっていることを、
この研究室では知ることができました。

たくさんの論文を読み、
実験をする中で、
もっと基礎から学び、
実験をして成果を出したい
と思う様になりました。

なにしろ、凄い研究成果を出している
教授、講師、先輩がゴロゴロしている研究室
でしたから。

そして、大学院の博士課程へ進学。
在籍していた研究室で実験を続けることになりました。

丸い椅子を3つ並べ、
落ちそうになりながらの仮眠をし、実験室で徹夜。
そんなことを当たり前に様にやっていました。

論理的に考えると基本にたどり着き、
学びを手に入れることができる。

その基本を用いると、
新たな考えを創り出すことができる。

それを実感できる、
気づきと学びの日々でした。

 

院卒で消防訓練!?

博士課程を修了し、
月のマークの花王株式会社、和歌山研究所に入所。
有機化学の研究員として、
香料の合成、工業化研究に取組む様になりました。

工場に隣接する研究所なので、
白衣を着ての実験ではありません。

作業着につま先に鉄板の入った安全靴。

ひとたび火災警報が鳴ると、
消火活動に走ることも、
当たり前でした。

赴任直後から約2週間、
消防訓練を受けましたから。

整列、行進、消火ホースを持って走り、
消火栓につないで消火作業を行う、、、などなど。

今でも、やろうと思えばできますよ、たぶん。(笑)

工場の三交代勤務も経験しました。

夜の製造プラントの灯り。
ブーン、グゥングゥンという機械の音。
制御室の制御盤のボタン、メーター。薄暗がりの油の臭い。

防護ゴーグルと防塵マスクを通して見る、
釜の前に並ぶ大量のドラム缶と原材料の袋の山。

黒く薄汚れた軍手。軍手を通って手にしみつく油。

夜勤明けの昼間、なかなか寝付けない日々。

「博士号をもっているのに、
俺は何をやっているんだ?」
当時はそんな風に思う事もありました。

今思えば、仕事の現場を知る、
貴重な体験をしたのですが、
当時はそんな風には思えなかったのです。(泣;

そんな経験をしながら、
実験を繰り返す毎日でした。

 

私はここにいなかったかもしれない!

この時期に、コンピューターに出会いました。
コンピューターに関して、
花王はとても進んだ会社でした。

実験室で、
初期のパソコン(NEC PC8800)を
いじった瞬間、私は思いました。

「これからのビジネスに、コンピューターは必須だ。
これを知っているかどうかは、大きな差になる。
ビジネスにコンピューターを
どのように活かすのだろうか?」
といことに私は関わりたいと心から思いました。

そんな時でした。
両親から、私の出生時のことを聞いたのです。

生後数週間の時に、
熱が出続けたそうです。

かかりつけのお医者様に連絡をしたら、
日頃忙しくされている方が、
たまたまその時医院にいらして、
直ぐに駆けつけてくださったのだとか。

診察するや否や、
逓信病院に連絡をしてくださり、
即、入院でした。

肺炎に罹っていたそうです。

もし、あと数時間、入院が遅かったら、
私は命を落としていたそうです。

その時、日頃忙しくされているお医者様がいらして、
直ぐ往診してくださったから、
今、命があってこうしているのだと。

もしかしたら、
こうして、ここに生きていなかったのかもしない。

それを知ったとき思いました。

今まで化学の世界で研究をしてきたキャリアに、
こだわることは止めよう。

会社・社会に役立つと思うなら、
それに関する世界に進み、貢献しようと。

それが自分の使命だと思いました。
この気持ちは今も変わりません。

 

競わずに認められる

コンピューターの経験がないにもかかわらず、
IT企業への転職活動を行いました。

何社にも断られた後、
試験を受け、面接を受けて、
日本アイ・ビー・エムに入社することになりました。

入社後、直ぐに、
大規模データベース開発のプロジェクトに、
メンバーとして組み込まれました。

しかし、開発経験はなし。
開発のための教育・研修も受けていない。
コンピューターのことも、Machintosh Plusをいじった程度の知識。

他のメンバーに追いつくために、必死で勉強しました。

ただ、他のメンバーと同じように、
プログラムのコーディングを勉強しても、
追いつけるものでありません。

自分自身が目指していることが、
プログラムの開発ということでもありません。

ビジネスにコンピューターをどのように活かし、
経営で成果を生み出すのか?に取り組み、
成果を出すことが、私が定めた使命でした。

私は、システム設計と、
プロジェクトマネジメントに特化して学ぶことにしました。
それが、自分の希望を実現する、
その時の最短で最も強力な領域だと考えたからです。

さらに、セールス、マーケティング、
ビジネスの仕組み、コミュニケーション、
ビジネス心理を学びました。

入社2年目に、
システムエンジニア(SE)候補が受講する、
1年間におよぶ研修の主要な単位を
受講する機会に恵まれました。

SEスクールと言われる研修です。

結構厳しい研修だったので、
「面倒だなぁ〜」と当時は感じていましたが、
今思えば、ラッキーなことでした。

なぜなら、、、

ビジネスの基礎は、
この時期、この研修を通して
身につけたことが多かったからです。

アイ・ビー・エムでは、
システムをビジネスに活かすために、
ビジネスの基本をSEに教えていました。

単なるプログラムコーディングや
SEとして育てていたわけではありませんでした。

SEスクールの最後には、
合宿形式で行う研修兼卒業テストがあります。

試験とロールプレイ、
その場での課題解決などの実践研修でした。

SEスクールを終了することで、
晴れてアイ・ビー・エムが認定するSEとして、
お客様の前に立つことができるようになりました。

この年、SEスクールは、
全部で約850人近くが受講しました。
約20名の成績優秀者にも私は選ばれ、
金時計(腕時計)を頂きました。

今でも、この時計を身につけると、
当時のことを思い出します。

その後、当時の最新技術を組み合わせた、
マルチプラットフォームで可動する、
データウェアハウス(統合型情報系データベース)の日本版の
企画・設計を行い、システムのリリースを行うことになります。

さらに、リリース期限に間に合わない状況のお客様開発案件に、
データベースの専門家として参画。
リリースに間に合わせることができました。

ありがたいことに、
お客様から活動内容を高く評価をいただき、
お客様専属のアカウントSEマネジャーとして、
指名されるようになりました。

同じ土俵で競っては、
勝てない事になりかねない。

他が持っていない、
しかし重要な事柄を見つけ出せば、
遅れていても一気に抜き去る事ができると。

 

コンサルティングは何か変だ!

そんな日々を過ごしながら、
私は考える様になりました。

私の使命は、
道具としてコンピューターを活用し、
ビジネス・経営で成果をだすための活動をすることです。

このままシステム開発に携わることは、
自身の使命を実現することには、
つながらないのではないかと。

使命を実現できる世界。

それは、
ビジネス・コンサルティングの世界でした。

この時から、
コンサルティングの世界に足を
踏み入れることになります。

コンサルティング部を設立したばかりの、
第一勧銀総合研究所(現:みずほ総研)に、
プロパーコンサルタント第2号として入りました。

10人を超えるコンサルタントが関わり、
私よりはるかにスキルの高いシニアコンサルも参加する、
大手金融会社の中期経営計画策定の
プロジェクトリーダーになりました。

契約前、お客様メンバーの打ち合わせに参加。

そこでの活動が評価され、
「わたなべさん、かげうらさん、降旗さんを
必ずメンバーに入れてくれるなら契約しますよ」
とお客様から名指しされました。

他のメンバーは、私よりコンサルタント経験は長かったので、
「コンサルタティングの経験者より、
私の方が評価されるんだ」とそのとき思いました。

このプロジェクトは、
お客様の社員がメンバーとして参画し、
私達が加わって一緒に内容の検討しました。

お客様は検討結果をほぼ全て実行し、
多大な成果を手にされました。

外部のコンサルタントが入ると、
膨大な検討結果の資料ができあがるだけで、
数割の施策でも実行されればすごいことだ、
とこの世界では言われることが多いです。

そのような中、このプロジェクトでは、
検討内容のほぼ100%が実施され、
お客様から大変感謝されました。

ちょっとありえない結果でした。

他の案件でも、主要メンバーとして活動し、
お客様だけでなく、社内でも評価されていました。

コンサルティングの世界で、
やっていけそうだ、
いや、成功しそうだと、
自信を得た時期でもありました。

 

この頃から、
疑問に思い始めたことがありました。

コンサルティングに関する多くの書籍。
コンサルティング手法のセミナー。

多くのコンサル案件で、
コンサルタントが、
書籍やセミナーの内容を実践します。

でも、上手くいった話は、
本当にわずかしか聞きません。

一時的によくなっても、
それが続くことがありません。

何かおかしい?変だ!
と私は思い始めました。

 

その後、独立系のコンサルティング会社で、
活動する機会を得ました。

その会社は、
成果物の書式が大事だ!
絶対に無償で、外部に漏らしてはいけない
という方針の会社でした。

私が抱えていた
「コンサルティングはなにか変だ」という疑問は、
解決するどころか、
ますます深まっていきました。

なぜなら、、、

書式が重要ではなく、
何を考えだすのか。が重要なはずだ。
書式項目、そこに書き出すことが重要ではない
と強く思う様になりました。

そこである結論に達しました。

コンサルティングの世界は、
あきらかに形式主義で変だ。おかしい。ズレていると。

それまでにも、MBAを持っているコンサルタント、
中小企業診断士の資格を持つ人が、
私のところに相談に来ることがありました。

その相談や提案内容は、
あまりに自分勝手で、
教科書に書かれている様な内容の羅列でした。

「お客様の状況は、
このやり方で解決できるとは思えないよ」
私の質問に、彼らは平然と答えましたよ。

「いいんですよ、契約がとれれば。
クライアントは、詳しくは判らないんですから。」

こんなことを何度も経験するうちに、
私には確信が生まれました。

経営経験がない人が、
勉強だけで得た知識を振り回しているから、
この様なコンサルティングになるのではないか。

ビジネス・コンサルティングをするには、
経営者としての経験が必要だ。

経営に携わり、
身を切る様な痛みや悩みを知っているから、
経営者に寄り添い、
同じ目線で解決に向けた活動ができるのだと。

 

自信が崩れ去っていく(汗

この時から、私の進む路は決まりました。

経営者として、実業に携わることにしました。

ヘッドハンティングされ、
中小企業の役員として、
事業を承継することになりました。

今までの経験、知識を総動員して、事業計画を練り、
事前に何度も打ち合わせを繰り返しました。

部下になる社員とも、
何度も打ち合わせをしました。

「降旗さんが来てくれるなら、
仕事が今よりやり易くなります。

事業計画がハッキリしたから、
私達も一所懸命取組めます。
成果でますよ。絶対に!

だから、絶対に来て下さい。お願いします。」

社員からは、
この様な力強い意見をたくさんもらいました。

ここまで準備をしたのです。
上手くいくと、私は確信していました。

赴任後も、部下とは、
目的・目標、戦略・戦術、日々の仕事について、
いろいろな観点から、何度も話をしました。

部下との関係も、職場の雰囲気も、
悪くなかったですよ。

 

さて、、、

事業は順調に滑り出したでしょうか?

社員は熱心に、
仕事に取り組む様になったでしょうか?

 

私は、3月のみぞれ混じりの雪が降る日。
薄暗い寒い会議室の椅子に座って、
途方に暮れていました。

『こんなはずじゃぁない。
なんでこんなことになるんだ?
これからどうしたらいいんだ?』

こんな疑問が、私の頭の中で、
グルグルと回っていました。

事業の売り上げはちっともアップしません。
事業が進展する気配がありません。
どの社員も指示待ち。
常に私の顔を伺っています。

”「仕事が今よりやり易くなる」
という話はどこへ行ったのだ?”

”「私達も一所懸命取組りくめます」のはずが、
指示待ちとはどういうことだ?”

「成果、でますよ。絶対に!」
どころか、社長から、
「どうなっているんだ?」と、
つつかれるばかり。

胃がキリキリと痛む毎日を、
私は送っていました。

経営者としての能力が、
私には、これっぽちもないのではないか?

コンサルタント時代の成果は、
単なるまぐれだったのではないか?

私は悩みました。

自信が音を立てて、
崩れさって行きました。

これが必要だった!

この場から逃げ出してしまえば、
楽になれるのに、
とも思いました。

しかし、、、
逃げるわけにも行きません。

売り上げアップのセミナーに参加し、
説明されたことをやってみました。

ビジネス書を読み漁り、
売り上げアップの方法を試してみました。

変化を期待しましたが、
何も変わりませんでした。

売り上げはアップしないまま。
社長からはつつかれる毎日。

モチベーションに関するセミナーにも出ました。
関連するビジネス書も読みあさりました。
コミュニケーションも学びました。

学んだやり方を、
片っ端からやってみましたよ。

しかし、何も変わりませんでした。

 

本当にどうしたらよいのか、
一向に解決策が見いだせず、
私は困り果てていました。

そんな時、
社員の中の一人のキーマンが、
私に言った一言が、
変化へのキッカケになりました。

「この事業って、
降旗さんがやりたい事じゃぁないですよね。
私がやる必要があるとも思えませんし、、、」

”あぁ、そういうことだったのか!”
とその時、私は気づきました。

コンサルタントの時には、
全く気づかなかったことでした。

自分自身がその仕事をする意味。
自分自身がその仕事に携わる意味。

これが必要だったのだと。

顔つきが変わった!

これが最後。
一通りやって何も変わらないなら、
身をひこうと決めて、
活動のやり方を変えました。

まず、部下が働きやすい環境を作る事にしました。
何年も掃除されていないオフィスを清掃し、
ゴミを捨て、整理しました。

廃棄物をトラックに積んで、
部下と一緒に、焼却場まで運びました。

気持ちが変わる、
キッカケが必要だと考えたからです。

次に、事業をおこなう意味を
明らかにすることにしました。

活動を始めると、社員の顔つきが変わり始めました。

不安な顔つきで、
指示を待ち立ち尽くしていた社員が、
自分で私のところに来て、
明るい顔で、
仕事の質問をする様になりました。

自分から、
こうやりたい、こうしたらいいと思う、
と意見を言う様になりました。

そして、
社員が自分で、
行動する様になりました。

事業の状況は、
今まではとは変わり、
良くなっていきました。

 

こんなに簡単に、、、

私は独立し、
経営者の方を支援する活動を始めました。

お客様の売り上げアップをおこなう時に、
経営者時代に実行したことを整理し、
支援に活かしてみました。

セミナーやビジネス書を読み勉強し、
集客手法やマーケティングに取組むが、
一向に売上が増加せず、
何をどうして良いか判らず、
暗い顔で悩む経営者の方。

コンサルタントにお願いしたけれど、
何も変わらず、費用をドブに捨てたと感じ、
途方に暮れていた経営者の方。

指示待ち社員ばかり。
自分が現場を走り回らなければ、
売上が手に入らない経営者の方。

そんな状態から脱する方法がわからず、
自分に能力が無いからと、
悩み続けていた経営者の方。

かつての私と同じ様な境遇、
悩みを抱える経営者の方々に、
かつて私が取り組んだ方法を実施してもらいました。

そうしたところ、、、

活動を始めて30日で、
打合せをしただけなのに、
それまで毎月続いていた、
10%を超える売上下降が、
ピタリと止まった。
売上が上向き始めた」と、
経営者の方が笑顔で報告してくれました。

「指示待ち、目立たなかった社員が、
自分から発言をし、行動する様に変わった」
と経営者の方が笑顔で教えてくれました。

「90日後に売上123.8%になった」と、
経営者が弾んだ声で報告してくれました。

「暗く、イライラしていた社員が、
明るく、意欲溢れるチームに変わってきた」と、
社長が嬉しそうに話してくれました。

他にも、
「業界ではありえない状況が起きた」と、
びっくり顔で社長が報告してくれる例が、
たくさん現れました。
(前述の成果一覧も参照下さい)

他にも、例えば、

若い社員が、突然、
今までの部門の個人最高売り上げの5倍を叩き出し、
部門でトップになりました。
その後もトップ3の座を維持しています。

目立たない若い新人が、
売り上げアップの活動の中心人物として、
活動して成果をだす様になりました。

こんな結果も出ています。

 

売上を増加し、事業の継続成長を、
事業、ビジネスで創り出すこと、
その結果として社員の仕事への意欲を高めることは、
難しくありません。

実行すれば、容易に成果を、
手にすることができます。

自ら行動しようとするあなたなら、
成果を手にする事ができます。

ポイントを身につければ、
誰でも、とんでもない成果を
生み出すことができます。

実際にどのような観点がポイントになるのか。
その点を【無料レポート】にして、詳しく説明をしています。
まだ【無料レポート】を手に入れていない方は、
以下の画像をクリックして今すぐ手に入れてください。

 

ぶっ潰さなければならない!

経営者を支援する活動のさなか、
私は、とんでもない状況を、
再び知ることになりました。

私に声をかけえくださる以前に、
お客様である経営者の全ての方が、
他のコンサルタントから、支援を受けていました。

借入をおこなっている金融機関の紹介で、
系列コンサル会社の支援を受けたお客様。

コンサルタントは調査と称するばかりで、
提案も実際の支援活動もなし。

にもかかわらず、
ベラボーなコンサル費用を請求。

活動していないことを指摘すると、
「お客様からの依頼がなかったから」、
と開き直られたと怒る社長。

別の例では、
同業他社より比率が高いという理由で、
某コンサルティング会社は、
ある費目のコスト削減を提案。

費用を削減した結果、売り上げは激減。

削った費目は、
その会社のお客様のサービスの特徴を支える、
重要なコストだったからです。

自身の提案で売り上げ減になりながら、
高額のコンサル費用を請求し、
ぶんどっていった、
会計系コンサル会社に呆れた社長。

顧問の公認会計士に、
売上増加の相談を持ちかけただけで、
何も変わっていないのに、
追加顧問料を請求されたと怒る社長。

コンサルタントを入れたら、
瞬間的に売上が増加。
それで多額の費用を払った。

しかし、すぐに売上の増加は止まり、
競合にはマネされて苦しい状況になった。

コンサルタントに相談したけれど、
打つ手もなく、今も苦しいままだ、
と腹立ちを抑えながら教えてくれた社長。

こんな経営者の嘆き、怒りを、
たくさん聞きました。

以前、コンサルタントや、
中小企業診断士から相談された時と同じ怒りが、
私の中に沸き上がってきました。

この様なコンサルタントや
先生の支援をぶっ潰さなければ、

怒りに震え、辛く悲しい思いをする
真面目な経営者が増えてしまう!
と思いました。

真面目に事業、経営に取組む経営者の方こそ、
成果を手に入れて、
希望と期待、意欲を持って
事業・経営に取り組めるようになって欲しい!

と私は強く思っています。

目指している処

コンサルティングの語源をご存知でしょうか?

ラテン語のconsultareからきており、
con(共に)+sedere(座る)=共に座る、
が転じて「協議する」という意味です。

コンサルティングとは共に座る
です。

共に座るなので、
状況を考えると、
相対して、対面で座ることではありません。

共に座るということは、
同じ方向を向き、
同じ問題・課題を前にする、
ということです。

多くのコンサルタント、
コンサルティングをする士業の先生は、
共に座ることがあるのでしょうか?

経営者の対面に座り、教えを授け指導する。
この様な立場で支援をしてるのではないでしょうか?

根本からズレている!

私はズーッと、そのように感じてきました。

教え指導するので、
理論・理屈を並べます。
教え指導なので、
教えててしまえば、それでオシマイです。

実践するかどうか?
実践して成果を手にするかどうか?
までは関心がありません。

コンサルタントが入ると、
そのときはなんとか盛り返しても、
上手くいかなくなると、
それっきり立て直すことができません。

教えるだけのコンサルタントだからです。

経営者の方が自分でできる様に、
導くことをしないコンサルタントだからです。

経営者の方が自分でできずにいれば、
コンサルティングの案件が、
また生まれるからです。

あぁ、本当におかしい!
狂っている!

多くのコンサルタントは、
経営者、社員が、
みずから問題・課題に取り組み、
解決できる様には導いていません。

なぜなら、
基本・基礎が判っていないので、
基本を教えることができないからです。

ハウツーとノウハウばかりに精通し、
それを熱心に教えるばかりだからです。

そして、経営経験がない、
知識の切り売りだからですね。

経営者の方に寄り添い、
同じ方向を向いて、
問題・課題に取り組むことに、
私は決めました。

基本・基礎を全て明かして、
経営者の方が、
自ら問題・課題に取り組める様に、
私は活動をすると決めました。

経営者・後継者の方が、
自分で直ぐに取りかかれる様に、
支援をすることに決めました。

これらを整理すると、
ウィズスマイルが目指すこと」に書いた、
以下の内容になります。

  • お客様から熱烈に支持される事業を構築し、ラクに簡単に効果的に、事業の成果・結果を手に入れること
  • 面白い、楽しいと感じながら、期待と希望と自信を持って経営・事業に取り組むこと。
  • 仕事に意欲があり、一所懸命に取り組むやる気の溢れる会社、事業を組み立てること

私が働く意味です。
ウィズスマイルとして活動する意味です。

これらの使命を果たすために、
「支援・提供内容」を拡充していこう
と考えています。

 

意識の高い経営者が、
互いに知恵を出し合い、
自分の得意な部分で協力することで、

新しいビジネス、新しい事業、新しい価値が生まれと
と私は信じています。

遠くない将来。

経営者が互いの成功のために知恵を出し合い、協力し、
共にビジネス、事業、価値を創り出す、
経営者のコミュニティづくりを進めています。

ここまでお読みくださり、
ありがとうございました。

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