こんにちは。
売上と社員のやる気を一度に伸ばす事を支援する
ウィズスマイル降旗(ふるはた)です。
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事業承継を考えていて、
後継者の候補者がいる経営者の方から、
よく聞く言葉。
「(後継者にと考えている)息子(婿、親族)が、
後継者、経営者として覚悟さえ決めてくれればねぇ、、、」
会社を継ぐ、経営者になることについて、
後継者と考えている人が覚悟を決めないので、
後継者として決めれらないというのです。
覚悟というのは、
「 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、
それを受けとめる心構えをすること」(大辞泉)
です。
このブログでも、
「覚悟」の意味は何度か取り上げていますよね。
多くの経営者が、
後継者が覚悟することを望んでいます。
しかし、後継者は覚悟なんかできません。
「覚悟する」「覚悟を決める」ということは、
危険、不利、困難なことを、
自らが受け入れると決めることですよね。
例えば、
沈没する「タイタニック」に乗船していて、
救命ボートもないとなれば、
逃れられない状況を受け入れ、
死を覚悟するということはあるでしょう。
時代劇や武士が題材の映画では、
武士道や主君への忠義をまっとうすることに、
自からの信念が沿うときに、
やはり死を覚悟する場面がありますよね。
自ら受け入れると決める、決断するには、
逃れられない状況や、
無視できない心のより処があるからです。
状況を受け入れなければならない必然性が、
そこにはあるから、
「覚悟」につながるのですね。
「覚悟」をしたとしても、
それをまっとうすることは、
私たち凡人には容易なことではありません。
沈没直前の「タイタニック」で、
逃れるすべがなく「死を覚悟」していても、
もし助かる余地がわずかでも見つかれば、
それを求めようとするでしょう。
死を覚悟してれば、
そんな状況でも落ち着いて死を待つでしょうが、
そういうことは、
なかなかできることではありません。
主君への忠義とはいえ、
助かる道を求めるでしょう。
静かに死を待つなんてことは、
なかなかできることではありません。
「死」という例を出していますが、
それ以外のことでも、
「覚悟」をまっとうすることは、
簡単にできることではありませんね。
単純に「覚悟」はできないものです。
事業承継の場合はどうでしょうか?
後継者が、
社長を継ぐことを受け入れなければならない、
避けられない状況があるでしょうか?
そのような状況はありませんね。
息子、婿、親族が、
後継者である必要は、
どこにもありませんから。
事業を売却することも、
会社そのものを廃業することも、
選択肢として無いわけではありませんから。
親子だから。
親が作った会社だから。
これには、後継者が経営者になることを、
受け入れなければならない必然性はありません。
後継者が社会にでるときに、
就職を本人の自由でさせていたなら、
後継者の心理面でも、会社を継ぐ理由は弱いでしょう。
継がなければならない必然性はありません。
経営者になる覚悟をするだけの、
要素も必然性もないのですから、
後継者が「覚悟」をすることはできません。
親のあなた、
経営者のあなたがどんなに望んでも、
後継者はそもそも「覚悟」できません。
「覚悟した。覚悟できた」と、
もし後継者が言ったとしたら、
逆に疑うくらいのことです。
必然性のない「覚悟」は、
容易に崩れ去るでしょうから。
「覚悟」を求めても、それは無理です。
そもそも、
誰が好き好んで、
危険なこと、不利なこと、困難なことを、
受け入れようとするのでしょうか。
受け入れなければならない必然性が、
そこには必要なのですね。
「経営者、後継者としての覚悟」
こんな言葉は忘れてください。
これは、
自分は経営をしたことがない、
経営の現場を知らない、
コンサルタントや先生と呼ばれる方が、
受け売りで言っているだけです。
こんな言葉に、期待や希望を持たないでください。
こんな言葉で、後継者が見つからない、
後継者を決められない理由を、
作らないでくださいね。